私がネズミ屋をやる理由
私がネズミを初めて殖やしはじめたのは中学生の頃でした。
それからはや30年近く。
途中子供も四人生みましたし、結婚離婚もありました。
仕事も色々と変わったし、引っ越しだってありました。
大地震もありゃ私が事故にあい入院手術をしたこともありました。
そんな環境の変化をものともせずに延々と続いていること。
それがネズミのブリードです。
ネズミと言っても多種多様。
尻尾の長いラットやマウス、日本人大好きハムスター、デグーにモルモットにカピバラに。
色々あれど、私の中で彼らはみーんな「ネズミ」。
ウサギ、ネコ、鳥、虫…数え上げたらきりがありませんが、色々とディープにブリードしてきた私のなかでも、なぜかネズミだけは特別な存在なんです。
よく
「儲かりもしないのに」
「災害が起きたら食べるの?」
「そんなことやってるから○○なんだ」
「子供がかわいそう」
まぁ、親兄弟をはじめとしてあちこちからご心配のお声をいただいております。
一匹や99匹ならいいでしょう。
ただ、私の場合高校一年のときにはすでに3桁。
時には2桁の時もありましたが、多いときは4桁の動物たちと暮らしています。
そりゃあちょっと頭おかしい。
大丈夫、自覚ならあります。
だって冷静に考えて弊害あります。
変人扱いくらいは褒め言葉。
依存症?あぁ、そうかもしれませんね。
異性とのお付き合いも長続きしないし、家庭内も悪化することもあります。
親兄弟なんて完全断絶状態。
餌や飼育のコストが家計を圧迫し、家の中は常にネズミ臭い。
近所からは嫌な顔され、家事が追いつかず家の中も荒れ放題。
バイト雇っても続かず完全ワンオペレーション生活。
旅行なんて行けるわけもなく、どんなに具合が悪くても熱が出ていても一日休める日なんてどこにも存在しない。
毎朝7時に起きて午前3時に寝る生活です。
すごい!いいとこなんてなんにもない!
そう、それなのに私はネズミをやり続けているんです。
他の仕事ができないわけでもなく、10代から20代で動物関係の出版社にいたときはフリーランスで編集と執筆やってご飯食べていました。
昔のペンネームで書いた飼育本、私くらいの年齢の方ならばきっとそれを頼りに生き物飼っていたはずです。
大手ITでの勤務を経て入った不動産会社のときは30代で女店長やってましたし、4桁の稼ぎも夢じゃありませんでした。
なのに、なぜでしょうね。
今の私は皆様ご存知のとおり、ただのしがないネズミ屋です。
だって、ネズミが私を熱狂させるんだもの。
その輝きから目が離せないの。
初めて触れたヒメキヌゲネズミの柔らかさ。
あぁ、今で言うところのジャンガリアンハムスターね。
色々な美しい色の子供を生むゴールデンハムスター。
そして、私にとってのエベレスト、最高峰はマウスとラットたち。
なぜこんなに色んな個体がうまれるの?
その答えを初めて知ったのは学生時代の生物の授業でした。
その名を「遺伝子」と言います。
熱中しました…ここに答えがあったのか。
生き物は色々な姿形色で生まれてきます。
ざっくり言うと色々な「形質」を持つと言い換えられます。
遺伝子の存在を知った学生時代にはすでに私は色々な「形質」の虜となっており、生物の授業はそんな私に秘密の扉を開く鍵を授けるようなものでした。
恩師は言っていました。
「ネズミやハムスターの毛色なんて数え切れないほどあるんだからそんなの全てわかりっこない」
20代の頃の私は猛烈に勉強し、また、ブリードの実践を重ね、「私は毛色の遺伝についての解明にかなり近づいている」と思っていました。「このままいけば制覇できる」とも。
当時は遺伝子記号つきで生体販売していたりもして。
それ自体は間違いでないのですが…若かった。
時を経て現在40代。
「不惑」の40歳です。
昔の人が「 私は40歳になって人生の方向性が定まり迷いもなくなった」というところから名付けた不惑。
私が最近悟ったことは「知識を得たということは、自分にとって逆に知らないことが得た知識と同じくらいある」ということです。
永遠の無知。
私は30年以上ネズミをやってきました。知れば知るほど、遺伝の奥深さ、生き物の持つ懐の大きさを知り、知識を得れば得るほど無知の海の広さを目の当たりにすることになったのです。
件の恩師のお葬式のとき、恩師の言うことが正しかったなぁと実感したものでした。
今も数々の友人から
「動物やめな」
「人間らしい暮らしをしたほうがいい」
「犬猫屋の方が儲かるからやらない?」
「こっちの業界戻っておいでよ一緒にやろうよ」
暖かいお言葉いただいています。
ラットが社会性動物であるように、私もニンゲンという社会性動物なんだなぁ、と友との触れ合いを通じて感じます。
でもなめんなよ。
私がネズミやめられるとでも思っとんのか。
ネズミ沼は深いんだ、形質なんて表層だけじゃない、もっと下の方に私がきっと知りたい、でも今は知らないことがあるんだよ。
洞窟探検家が苦労に苦労を重ね、またアルピニストが苦労に苦労を重ねて得ているもの。
その姿に「そこまでやる必要ないじゃん」と思っていた指がほかならぬ自分をさしていた、そんなところです。
ま、そういう方々と違って美しくもなんともないですけどね、我が家の現実は。
ただ、ケージを開ける度にそこに私にしか見えない輝く宝が鎮座坐しているってことですよ。
多分ね、私がネズミ屋を続けていることに、私からの理由なんてないんです。
光に魅入られた羽虫のごとく、私にとっての光がネズミってだけで。
一言でいうと、ネズミは儲かりません。手間ばっかで。
でも私だって生活していかなきゃならないので、他の仕事もやったりと今後も工夫や苦労をせねばならないことでしょう。
ただ、今この瞬間の不惑のネズミ屋としての心をここに綴っておきます。知命の私がこれをどう見るのか、それもまた一興。